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「自社商品」という名の宿題が、宝物になるまで。——手探りから始まった挑戦

インタビュー記事

創業からまもなく100年。 特殊ガラスの分野で世界的に知られている「岡本硝子株式会社」。

プロジェクター用反射鏡や歯科照明用ミラーなど。
私たちの目に触れる製品のずっと手前、モノづくりの「源流」に位置する彼らの技術は、
極めて高精度で、堅牢で、揺るぎない。

確固たる技術があり、顧客からの注文がある。
それに応えることで信頼を積み上げてきたBtoBメーカー。
だからこそ、「自社商品」という新たなアプローチは、当時の同社にとって未知の領域だった。

これは、トップダウンで始まった華々しいプロジェクトというわけではない。
特別な役職や、新規事業の特命担当からスタートしたものでもない。
大企業の一社員が、会社から課された「漠然とした宿題」に手探りで向き合い、
社内の「なぜ?」という問いに応えながら、少しずつ仲間を増やして“光”を探した「途中の物語」である。

「これまでの当たり前」という壁

「次の新しいものを考えなさい」

それは、多くの老舗企業で繰り返される、一種の定型句のようなものかもしれない。
岡本硝子の藤原心さんは、その言葉に真っ直ぐに向き合おうと決めた。

技術はある。しかし、いざ形にしようとしても、ゼロから何を生み出すべきか答えはすぐには出なかった。
そもそも、会社全体がそれを渇望しているわけでもない。
「部品メーカーとして、顧客の要望通りに完璧なものを作る」ことが長年の当たり前であった組織において、
形も価格も売り場も決まっていないモノを生み出すアプローチは、あまりに勝手が違った。

藤原さんは、事業をトップダウンで進めるような立場にあったわけではない。
そんな彼女が、社内プレゼンで投げかけられたのは、BtoBのプロたちからの鋭い指摘だった。

「で、それ、どこで売るの?」

良いものを作れば売れる、という甘い世界ではないことを彼らは知っている。
だからこそ、夢物語には厳しい。

新しい挑戦に向けて会社を動かし、セメントプロデュースデザインと取り組んでいく上での最大の決め手は、
洗練されたデザイン力でも、コンサルティングの実績でもなかった。

実店舗『コトモノミチ』という、確実な売り場を持っていること。

それが、社内の理解を得るための大きな材料となり、
そして藤原さん自身が未知の領域へ一歩踏み出すための、力強い支えだった。

「仕様書」のない世界で、決断に迷う

プロジェクトが始まると、藤原さんはすぐに「自由の不自由さ」に直面する。

BtoBの仕事には、必ず「お客様の要望(仕様書)」がある。
寸法は?外観仕様は?必要な試験は?
すべて相手が決めてくれる。

しかし、BtoCの自社商品開発は、誰も正解を教えてくれない。

容量は何ミリリットルがいいのか?
どんな形が持ちやすいのか?
それは、いくらなら手に取ってもらえるのか?

「自分たちで決めていくことが、こんなに難しいとは思わなかった」

藤原さんはインタビューでそう振り返る。
一度はデザインと価格のバランスが崩れ、プロジェクトは白紙に戻った。
それでも藤原さんは立ち止まらなかった。

「言われた通り、アドバイス通りに、とにかくやってみよう」。

その真摯な姿勢で、一つひとつの課題をクリアしていった。
そうして生まれたのが、「揺れるグラス『yura glass』」だった。

高精度の技術があるからこそ、あえて不安定な揺らぎをデザインできる。
それは、堅牢な岡本硝子の中に生まれた、小さな“遊び”であり、
部署の垣根を超えて集まったチームが、悩みながら企画開発を進めて生み出した結晶だった。

会社として、初めてのグラス生産であり、
3面異なるデザインのため、ガラスが型の中で充填されるスピードがそれぞれの面で異なり、
実際にやってみると非常に繊細で難易度が高い成型だった。

だが、生産現場の職人が力を貸してくれた。
型の温度、種の入れ方、種の切り方など、これまでの知識・ノウハウ・技をすべて活用して生産してくれた。

蒸着の工程でも、無数の色の組み合わせの中から何種類も試作をし、サンプルを見ながら
「もう少し透明感を出したい」「もう少し赤っぽく」など
微妙な調整を何度も繰り返し、ちょうどバランスのよい5色を作り出してくれたのだ。

小さな波紋は、予想外の岸辺へ

完成した『illumiiro(イルミーロ)』。

爆発的に売れて会社の柱になったかと言えば、まだ全くそんなことはない。
社内の空気が劇的に変わったかと言えば、それもまだ「途中」だ。

しかし、確実に「変化」は起きている。

プレスリリースを見た、今まで接点のなかった企業から連絡が来たり、
「illumiiroを見て来ました」と、BtoBの本業の商談につながったり、
地元・柏の人々が「こんな面白い会社があったんだ」と気づき始めたり、と。

そして何より、社員が社販で購入し、友人にプレゼントする動きが生まれた。

「機能」ではなく「情緒」で選ばれる商品が工場の片隅に生まれたことで、
自分たちの技術が誰かの笑顔につながっているという実感を、社内に少しずつ運び込んでいる。

はじまりは「漠然とした宿題」に過ぎなかったプロジェクトが、
いつしか外の世界と会社をつなぐ、新しい窓になり始めていた。

賢くなったからこその、次なる恐怖

「最初は何も知らなかったから、突っ走れたんです」

インタビューの最後、藤原さんは苦笑いしながらそう漏らした。
最初の一歩は、無知ゆえの蛮勇で踏み出せた。
しかし、一つの商品を世に出し、その苦労と喜びを知ってしまった今、二歩目は一歩目よりも重い。

「ああしておけばよかった」という反省。
「次はもっとうまくやらなければ」というプレッシャー。
チームとしての経験値が上がったからこそ、目の前の壁はより高く見えている。

それでも、藤原さんは止まらない。
事業としてしっかりと収益の柱に育てていくという次なる目標を見据えながら、第3弾、第4弾の構想を練っている。

岡本硝子の新しい挑戦の物語は、まだ序章に過ぎない。

かつて「漠然とした宿題」から始まった小さな灯火は、
今や会社の未来を照らす、小さくとも確かな光(宝物)になりつつある。

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